10月31日(火)くもり

こんにちは。麻雀ぐーぐです。


ハロウィンですね。何するんでしたっけ?変な服着ればいいんでしたっけ?そしたらビールもらえるの?


まあなんでもいいけど麻雀打ちますか。


えー、リーチの人です。


・・・引退します。


何がって?決まってるじゃないですか。


もういいんです、つまんない競馬の話なんて。なーにがロマンだよ、くだらねー。


有馬記念でまたお会いしましょう。



・・・なんて書いたあと麻雀打って今戻ってきたのですが、まーたチョンボしました。麻雀も引退かもしれません。


これからは競馬で食べていこうと思います。




・・・え?


・・・もうよくわからないので話を進めましょう。



うっかりさんのヒゲおじ様に美味しいコーラを頂きましたので先日の続きを書いていきたいと思います。


どこまで書いたんでしたっけ?

確か点5の雀荘とネット麻雀の天鳳に修行の場を乗り換えたってところまでだった気がします。


なので、あらすじとしましては、フリーデビュー戦でボロ負け、戦術本読むも逆効果、ゲーセンの麻雀格闘俱楽部と場末雀荘の往復で修行、からの横浜駅西口点5雀荘と天鳳で修行開始、少し強くなるも壁にぶつかる、といった感じです。


では続きをどうぞ。



とにかくたくさん打って経験値を積めば自然と強くなれるだろうと高を括っていた私。

しかし、多少上手になった実感はあるものの、勝ち組と呼べる成績には到底至っていない自覚がありました。


結局のところ、麻雀で結果を出すということは、即ち優秀な数字を残すということ。

この頃から私はフリー雀荘で打った麻雀の成績(着順と収支)を逐一記録するようになります。


ただ、成績をつけてもつけても、理想の成績とは程遠い現実を突き付けられるばかりなのでした。

ちなみにその当時の天鳳の成績はというと、3000半荘くらい打って五段と六段を行ったり来たりといった状況。お世辞にも強いとは言えない成績でした。(いい成績の一応の目安は七段以上。たぶん)



初めての壁にぶち当たった私は悩みます。

戦術本を読んでも仕方ないし、麻雀の先生がいるわけでもない。


こういうときは必殺技です。


「強そうな人の真似する作戦」


この必殺技は麻雀に限らずどんなことをするにも有効です。皆様も小さい頃から生きていく上で何度もこの技を使っていることでしょう。


親のマネ、兄弟のマネ、先生のマネ、友達のマネ、先輩のマネ、他人のマネ、マネ、マネ、真似。


みんな最初は誰かの真似をして生きていくのです。


フリー雀荘に行った際には強いと噂される人の打牌を待ち席から食い入るように見たし、同卓した際には手出しツモ切りを全部覚えておいて場合によっては局の終わりに質問したりもしました。

極度の人見知りの私にとっては中々考えられない行動です。


天鳳で高段者と同卓した際(当時は天鳳卓というものが存在せず四段以上で打てる特上卓に強者が集結)には後から必ず牌譜を見返してお勉強。(いい時代になったものです)


その作戦の甲斐あって、私は強者達みんなが持つあるひとつの共通点に気が付きます。


「麻雀強い人は全員押しが強い!」


当ブログをご覧の皆様ならご存知かと思いますが、私、「リーチの人」という通り名で当雀荘に勤務させて頂いております。


「愚形上等、先制テンパイ大体リーチ、アガルのはワタシだ、全員オリロ。」


でも、こんな強気な性格を全面に出すのは麻雀をしているとき、又はギャンブルで負けて熱くなったときくらいです。


普段は石橋を叩いて叩いて安全を確認した上でさらにほふく前進で渡るぐらい慎重な性格なのです。


元々は麻雀にも普段の慎重な性格が色濃く出ていて、麻雀格闘倶楽部で段位が上がった際に頂く属性は何度やっても「玄武」。放銃率少な目の防御型でした。

皆様信じられないとは思いますが。


ただ、麻雀強者がみんな押しが強いと気付いたこのとき、私も初めて強者の真似をしてギリギリまで押すことを試みたのです。


「リーチに放銃するのは恥」、「愚形テンパイは最低3巡待ってからリーチしろ」、こんな訳の分からない常識が場末雀荘業界に根付いていたあの時代。


リーチに押すのは恐いし、愚形でリーチを打つのは本当に恐かったです。

でもしっかり成績をつけ続けてみたところ、その考えは間違いだったことに気づくのです。


あれ?・・・ってか、むしろ成績圧倒的に良くなってないか?



ここに「リーチの人」が誕生しました。



基本押し。

これはさすがにっていうのだけダマにしてそれ以外はテンパったらとりあえずリーチ。たったこれだけで成績はビックリするくらい上向きました。


もちろん微調整は必要でしたが、重度の慎重派の私の場合、ある程度ラフに押すくらいが丁度良かったのでしょう。


ニュースタイルでのさらなる打ち込みを経てそれなりに自信を深めたあと、点5の雀荘を卒業。


そこからは、横浜駅西口にあった今はなき4スぺーS、ドラMちゃんなどのソフトピンで1000半荘以上打って純黒を達成。


その勢いで神奈川県内のピンの雀荘巡りを敢行し、こちらも1000半荘以上打ってトータル収支純黒。


リーチの人となった私はついに覚醒を果たしたのでした。


ずっと五段と六段を行ったり来たりだった天鳳も、心機一転、一皮むけたあとに新しいIDでスタートしてみるとあっという間に七段昇段。

これ、一応昔のパソコンに保存してあった証拠画像。



特上卓で確変引いた感覚はあったけど、何千回も打って全く七段に昇段できる気配がなかったあの頃と比べて明確に成長できたのを実感できて本当に嬉しかったなぁ。。


ちなみに、このくらいの時期に鳳凰卓という特上より上の卓が出来たんだけど、月に500円払わないと打てないことを知って天鳳は泣く泣く引退。


ハマリ症の私は、ネットゲームに課金だけはしないという自分の中の鉄の掟があるのです。


「ネットゲームに課金、ダメ、絶対。」

「ガチャ恐い。クレジットカード、借金、ダメ、絶対。」


今思えば天鳳にガチャみたいな課金システムはないし、月にたったの500円でとっても楽しい麻雀が打てるなら払っても良かったなぁなんて後悔したりもするのですが、そしたらそしたでハマリすぎて天鳳位目指して廃人になってた可能性もあるし、まあ良かったかなと思っております。



・・・さて、麻雀に対して自信を深めた私はようやくある決意をします。


リベンジ。


遂にあの悪徳場末雀荘に復讐をするときが来たのです。


あれから何年の月日が経ったでしょう。長かった。本当に長かった。


ようやく私は成長し、あの日、私のプライドをずたずたに切り裂き、屈辱にまみれさせることでわからせてくれた、あのオヤジ達にリベンジする準備が整ったのです。


万感の思い。

恐らくもうあの頃のように負けることはないでしょう。


全員倒すまで通い続けてやるからな。



・・・いざ決戦の地、上大岡の寂れた商店街へ。



・・・



・・・



・・・えー、聡明な皆様のことですから、大体わかってしまいますかね。オチが。。



寂れた商店街。場末雀荘。


えー、


はい。


そうです。


・・・潰れてました!(泣)


余談ですが、わかる人にはわかるはず、このお店、三色おじさんが居たお店ですね。

なんだか非常に悲しい気持ちになりました。


でもね、いいんです。

リベンジは私の心の中で完遂したのです。


ある意味私を育ててくれたお店。このお店がなければ今のようにそこそこ麻雀打てるようにはなっていなかったでしょう。

麻雀を仕事にし、毎日をストレスなく楽しく過ごす未来などあり得なかったと思います。


名前も覚えてない雀荘だけども、本当に感謝しています。

間違いなく私の青春の一端を担った場所。

ありがとう。そしてさようなら。


三色おじさん、クソオヤジへ。

あの頃負けてばっかりだった僕だけど、今ではメンバーも出来るようになったんだ。

いつかまたどこかで出会ったらまた楽しく麻雀打とうな・・・。



・・・はい、ではなんだかよくわからない締め方をしたところで今回のお話はここまで。


いつも通り長々と読んで頂きありがとうございました。


ヒゲのおじ様は今度は間違えないようにお願いしますね。

間違えたらもうブログ書きません。


では、本日も皆様のご来店をお待ちしております。


麻雀ぐぅ~ぐ

京急鶴見駅から徒歩2分 初心者の方でも安心して遊べるお店です。 皆様のご来店をお待ちしております♪♪

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