6月18日(金)晴れ
こんにちは。麻雀ぐーぐです。
どうもリーチの人です。最近くだらない記事ばっかり書いていたので、このままでは当人気ブログが見限られてまた過疎化してしまうんではないかと懸念しております。
前置きはなしにして大人気コンテンツ(?)である昔話を書いていきましょう。
とはいえ、前回の続きである今回の社会人編も大した話ではないし、イマイチ筆(指)が進みません。
社会に対して蟻以下の存在の小さな個人の小さな反抗を回りくどく書くだけなのできっと面白くないと思います。
皆様お待ちかねの「カジノでボロ負けどん底編」まではもう少し掛かりますので、それまでしばしお付き合い下さい。
はい、というわけで、どこまで書いたかなぁと自分で書いた過去記事を読み返してみました。
・・・えっと、何これ、暗っ。完全に病んでる人の記事じゃん。
まあ母の命日の影響なんですかね。毎年4月になると憂鬱な気分になる日が増えるんですよね。
自分では全然意識してないんですが、やっぱ無意識のうちになんかあるんですかね。
今はもうありませんが、昔は4月になると急に涙が止まらなくなるなんて日があったりもしました。
そんな鬱な人が勢いで記事書いてるもんだからそりゃあ暗くもなるわって話ですね。
気を取り直して書いていきましょう。
あ、一応未読の方へ簡単にここまでのあらすじを載せておきます。
「幼少期を特殊な家庭環境で過ごしたリーチの人。小学校・中学校と2度の転校を経験し、徐々に歪んでいく性格を認識しつつ、バイトとギャンブルに明け暮れながら高校を卒業。
卒業後は運良く東証一部上場企業に就職が決まったのであった。」
・・・では続きをどうぞ。
高校を卒業し、会社に事務職として採用された僕はすぐに寮に入り、念願の一人暮らしをスタートさせた。
自由を手にした僕は思う存分に羽を伸ばした。
初任給は16万1千円と驚きの安さだったが、レオパレスの1部屋を借り上げてくれた寮費が月に6千円と神がかっていた為、給料のほとんどをギャンブルに注ぎ込むことができた。
おそらく僕の人生でいちばんギャンブルで負けたのがこの時代だ。
過去記事にて書いたように、フリー雀荘デビューしカモに育て上げられたあとはひたすら負け続けたし、高校生の頃は勝っていた競馬でもサッパリ勝てなくなっていった。
お金を増やす手段として考えていたギャンブルが楽しい遊びに変わったのだ。負けるのは当然だろう。
それでも麻雀や競馬、ギャンブルは楽しかった。
ちなみに、パチンコやパチスロ、地下カジノ、悪い夜の遊びなどを覚えたのもこの頃。気が向いたら記事にするかも?
肝心の仕事の方はというと、いい環境に恵まれたおかげで初めのうちはなんのストレスもなく楽しく働くことができた。
どんどん新しい仕事を任されるようになっていき、充実したサラリーマンライフを送っていた。
しかし、あるときからひとつの疑問が頭の中に湧き始める。
結局それをきっかけにして僕の頭の中は徐々に荒んでいき、最終的に退職に追い込まれるのであった。
世はITバブル直後。今でこそパソコンなんて持ってて当たり前の時代だが、この頃はそこまで普及していない。
僕のいた会社も少し前にようやく1人に1台パソコンが割り振られたという頃だった。
若い人には信じられないかもしれないが、僕の高校時代なんて、ヤフーって何?グーグルって何?っていう時代だ。
当時、商業高校の情報システム科、学年でいちばん成績のいい人間が、先生に、「検索エンジン何使ってる?」と質問され、「ヤッホー」と答え、先生に爆笑される様を、意味がわからないクラスメイト全員がポカーンと眺めているなんていうシュールなシーンをよく覚えている。
会社に出勤した際にはタイムカードを専用の機械にガッチャンが当たり前。
若い方、意味がわからないでしょう?
それが社員証をピッとかざせば出勤したことになるってんだからあの当時は仰天したものだ。
勤怠システム以外にも徐々に様々な仕事がシステム化していき、新しいシステムが次々と導入されていくが、パソコンに不慣れなおじさんおばさん達は時代の流れにすぐに乗ることはできなかった。
自然といちばん若い僕に仕事が集まるようになっていった。
たまたま高校時代にシステムアドミニストレータという資格を取得していた僕は、情報システム部と事務の現場の橋渡し役として会社に非常に重宝された。
人事、社会保険、出張旅費精算、様々なシステムに開発から携わる事も増えていった。
ほんの少し仕事ができるようになった僕は調子に乗り、こんなことをいつも思うようになっていた。
「あのおっさんはいつも窓際でウトウトしているだけだけど、絶対僕より多い給料をもらっているんだろうな。」
「あのおばさんは(僕なら10分で済む)メール一通打つのに午前中一杯を費やしてるけど、きっと僕より給料高いんだろうな。」
今振り返ると、なんと器の小さな人間かと、自分で嫌になるが、そういう人間も会社には必要なのだと考えられる程、当時の僕は大人ではなかった。
そんな若かりし頃の僕が、入社して1年が過ぎたある日、給与システムの運用を任されることとなった。
突然僕は何千人もいる会社の全従業員の給料を全て把握する立場となった。
ただ、このシステムを任されるには僕はあまりにも若すぎた。
「どうして僕よりはるかに仕事をしていない人間が、僕より高い給料をもらうのか。」
以前からなんとなく抱いていた疑問が、具体的な数字を見せられて、より強い疑問に変わっていった。
「年功序列」
今でもあまり好きな言葉ではないが、歳を重ねた今なら、仕方ないと理解はできる。
ただ、当時の僕はそれが疑問に対する答えだとわかっていながら、簡単に受け入れることはできなかった。
仕事が遅く、定時で終わらせることができないおじさん達が残業代を上乗せてたくさんの給料をもらう。
人の何倍もの仕事を抱え、その全ての仕事を定時で終わらせられる若者はいちばんの安月給・・・。
僕は自分の力をもっと別の環境で試してみたいと思うようになっていった。
仕事をすればするほどお金になるような環境こそが、あの頃の僕の理想だったんだと思う。
もちろんそれが辞める理由の全てではなかったが、会社が不祥事を起こし、経費削減の煽りを食って、寮費が月6千円から4万円に引き上げられるという情報を得たタイミングで、僕は会社を去ることを決意した。
入社してから3年が経っていた。。
・・・はい、まとめると、ただ時代にマッチしたってだけで大事な仕事を任された若者が、年功序列制度に納得いかなくなって会社が嫌になっちゃったっていう話でした。
あの頃は完全に色々と勘違いしていましたね。ここから私の人生の歯車は狂いだします。
では、次回はパチンコ屋アルバイトからのスロッター編をお送りしたいと思います。調子が良ければ派遣社員編までいくかも?
それでは相変わらず変なブログを書いているやつを含め、愉快なメンバーが本日も皆様のご来店をお待ちしております。ぜひ楽しく麻雀打ちましょう。
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